2013年2月4日月曜日

母のこと

昨日、2/3に母が亡くなった。

昨年の12月の初めに『お母さんが白血病になった』と親父から電話が入った。診断は急性白血病。母に付き添って診断したドクターに詳しい話を聞きに行くと『高齢で積極的治療方法はない』とのこと。そうは言われても実感がわかないまだ元気な母と自分。その帰り道、母と寄ったそば屋。これが人生最初で最後の母と2人の外食になった。

これが12月14日のこと。



輸血や頻繁な血液検査が必要な為、12月19日に入院。病室では明るくて陽気な母と普段通りの会話をしていた。母を見ているとこのまま何年も大丈夫なように感じていた。

正月は実家に一時帰宅をして皆で集まって食事をしたり集合写真を撮ったりして楽しくわいわいやった。

正月、実家のバルコニーにて。照れくさかったけど母の肩に触れて写真を撮った


この後、病院に戻ってから高熱が続き、食欲が落ちるのと共に体力も落ちていった。そんな母の歯磨きを手伝い、背中をさすり、タオルで顔を拭いてあげてクリームを塗り、髪を梳かした。正月には肩に触れるだけでも照れくさくてたまらなかったのが、この時にはもう照れはなかった。

この頃に母に初めて手紙も書いた。内容は今までの感謝と愛の告白。笑
過去への感謝だけだと寂しいから一行だけ『春には皆で桜を見に行こう』と書いた。

夜中に書きながら涙が止まらなくなった。

手紙を読んだ母は『ありがとう、感激しました』と言ってくれた。

ある日『あなた達のへその緒がタンスにあるから、お母さんの棺に入れて下さい』と言われた。平静を装ってメモを取りながら『わかった』と答えたけど、内心ではたまらなかった。

兄は行く度に母の手足をマッサージしたりクリームを塗ってあげたりしてた。食欲が落ちた母の為にジューサーを買って病室でジュースまで作っていた。

兄の彼女も自分の彼女も母に本当に優しくしてくれてありがたかった。


五日前、母は酸素マスクを付けながらも意識ははっきりしていた。兄貴と母の手を片方ずつ握りながら付き添っていた。苦しそうな母にちょっとふざけ気味に『俺たちを産んでよかった?』って聞いてみた。

母はマスク越しに『最高!』って答えてくれた。これが母の最後の言葉になった。

翌日病室に行くと、苦しさを緩和するためモルヒネが使われていた。それでも母は質問には頷く事で返事をしていた。

この日、母が自分と兄の目をジッと見るシーンがあった。まず自分を、そしてゆっくり首を動かしてベッドの反対側にいた兄貴を。時間にしたら各々一分位だったかな。この時、母が自分と兄を記憶に焼き付けようとしている事を感じ取った。『凄い長く見てたね〜』って笑ったけどかなり切なかったな〜。

それから三日目の朝、母は息を引き取った。

最後まで弱音を言わず、誰にでも礼儀正しく、女性らしく、優しく、凛とした人だった。

母も言っていたけど最後の2ヶ月はみんなに囲まれて幸せだったと思う。家族もある程度の時間を与えられたおかげで母との時間を大切に過ごす事が出来た。

『命』あるものに『死』は自然な事。だから母の死も自然な事。でも、まだ受け入れきれていないのか、どこかに母がいる気がしている。


明日はお通夜、明後日が告別式。感謝と共にしっかり見送ろうと思う。


兄が送ってくれた二年前の母の誕生会の時の写真

83年間お疲れさまでした。そしてありがとう。



書こうか迷ったけど自分のブログなので書きました。
記憶が薄れないうちに書いておきたくて。

最後まで読んでくれてありがとうございます。